イベント2 淑女は眠る、イバラの中


2−23 泡沫から生まれいでる



 緑色の世界に包まれて見ていたの、優しい夢を
 お父様、お母様に愛されて私はとても幸せだった
 だけど思い出してしまったの、悲しいことを
 お母様も忘れていた悲しいことを
 夜は終わるのだわ 夢は終わるのだわ 現実だけが残る






「ほう」
 ラガートは目だけで笑った。
「君たちは、私に向かってくるというのかね」

「そーよ! ちょっと待つのです!」
「当たり前よ! アリーゼに手を出すのは待つのです!」
「ああああもう、いいから! お前の悪事はここまでだから!」
 ジャンが私たちを見ている。

「泡沫の宝玉は、渡さない」
「石を持っているのは……誰だ? 君かな、シロウ君?」
 何で分かるんだろう。なんかなりゆきでこの錬金術士と戦って、んで、倒せるんだろうか。倒せなかったら?
 私たちのレベル足りるのかなぁ。
 なんか不安なことばかりだけど……

「お相手しよう」
 錬金術士が、構えた。彼の武器は、本だ。右手に持った革表紙の本。まさかアレの角でで叩かれたら痛い、なんて展開じゃないと思うんだけど。
「俺が援護する……!」
 ジャンが言った。私たちは、構えた。

 戦闘開始だ。



* * * * * * *



 まず動いたのは、私だった。ドラゴンナックルで思い切り切り込んでいく。空を飛ぶ感覚で、飛び上がった。そしてラガートの身体が衝撃でよろける! 彼の魔法詠唱がキャンセルになったらしい。ラッキー!

「邪なる呪いによって汝の動きは、鈍くなる……」

 ジャンの呪いが完成した。早いな、魔法。ノアはまだ詠唱してる。
 シロウの攻撃! 剣で思い切り眼鏡叩き割ってやれ。それもヒット! 錬金術士だもんねー、体力は大したことないに違いないよ!! もしかしたら、簡単にすむかもっ

 なんて甘い算段だった。

「世界にあまねく知の力によってそなたらを罰する……錬金術士は世界を作り出す神なり」
 ラガートは両手から炎をほとばしらせた。いや、火薬だった。私たち三人は一気にダメージを受けて、ノアは体力が危険になる。あれ、やばい! 次のターンは回復に専念することになった。
 薬草、買っておいてよかった。
「我が知の力の奔流……」
 走る雷に私たちは足をばたばた踊らせた。
 こっちは大したことない、と思ったらしびれて動けなくなる! 全員に対しての攻撃を受けると、もちろん全員が回復しないといけなくなる。となると薬草が余計にかかるわけで……いくらあっても足らない!
「だーーっ!」
「ドラゴンファイアー!!」
「くらえっ」
 私たちの攻撃をいくら受けても、平気みたい。というか、やっぱ早すぎたんじゃないかなぁ……暗いこと考えていると攻撃もすかってしまう。
「邪なる呪いによって汝の動きは、鈍くなる……」
て、ジャンが手伝ってくれてるのはいいんだけどこいつ状態変化魔法しかとなえないのよね! 相手のHP半分にするような魔法とか、となえりゃいいのに。ラガートの動きがドンドン遅くなっていったのはありがたいけど……

 あれ?
「シロウ、あんたなんか光ってる。あれ、ノアも?」
 ふたりは光に包まれていた。赤い……なにこれ。
 祝福とか? で、でも私だけ光ってないんだけど。どういうこと!?

 ノアの道具入れから飛び出したのは金色の子猫。
「アリーゼ……」
 シロウは懐から石を取りだした。それは光を放っている。
 アリーゼは石をくわえると、自分の身体の元へ走っていく。ラガートは、動きがのろいせいでそれを止めることができない。




「ああ」


「終わりね」





 眠れるアリーゼの胸に飛び込んでいく、猫。
 その白い手が包み込んでいる光に、石が吸い込まれ。そして猫はアリーゼの唇にキスをした。
 風が吹いた気がした。
 猫が、ふらりと倒れて床に落ちていく。そして、眠れる姫君の目が開く。木に守られていた彼女の眠りは終わった。金髪の姫は起きあがる。

「アリーゼ」
 喉を詰まらせたような、泣きそうなジャンの声。

 アリーゼは手の中に石を抱いていた。けど、それは中途半端なものでしかなかった。
「わたくしを守るために、みなさまを犠牲にするわけには参りません」
「………アリーゼ、貴方にはその価値がある」
 ジャンの言葉に悲しい笑みをたたえたアリーゼが、弱々しく首を振る。
「ないのです。
 全て、偽り……わたくしのことは、お父様が知っている。お母様もじきに思い出す。わたくしには、守られる意味がない」

 トルデッテ伯爵夫婦が現れる。
「どうしてそんなことをいうのです、アリーゼ。私たちは貴方を愛しているのですよ? その愛のために貴方を守ることすら意味がないというの?」
 クラリーネ夫人は手をもみしぼりながらそう訴える。その手を押さえるのが、トルデッテ伯爵だった。

「ラガートくん……君は、翠の女神像が欲しいと言ったね。女神像は、『迷いいずる夢』という……そう、夢だった。
 私たちの間には長い間子供がいなかった。
 至福の王、ディナドン陛下は私たちの苦しみ、哀しみを見ていられないとおっしゃられた。キルシュナ王国無二の宝と言われた女神像を下賜してくださったのは、その為だ。
 どうか、私たちに、子を。
 祈り、願った。まさか、女神像が子供と化すとは私たちは思わなかった……! だが姫は可愛らしく、私たちの望む子供そのままの姿で。クラリーネはすぐに子供に夢中になった。それどころか、自分の腹を痛めた子供だと思いこみ、夢であることを自ら証明するかのように、言いだしたのだ。
『姫を結婚させましょう、貴方』
 そんなことは、できはしない。女神像の力はこの町を出れば、無力化する。そういう話だった。
 なぜ、自ら夢を壊そうとしたのだ、クラリーネ。いやがるアリーゼを説得しようとする妻の姿は、私にはつらすぎた。何と言えばいいのだ? どう説得すればいいのだ? 言葉など、なんになろう?
 ……もう分かっただろう。アリーゼ、すまないことをしたね。君は私たちのために生まれてくれた、得難い宝なのだ」

「お父様、お母様……私も、人間になることができて、嬉しかった。ヴィクトリアと遊んだこと、ビビと一緒に話したこと、すべてが私には素晴らしい宝もののような時間でした。
 できるならこれからもずっと、あなたがたの子供のままでいたかった。でもそれは、もうだめなのです」
 どうして? とクラリーネ夫人が問いかける。泣きながら。
「どうしてなのアリーゼ。私の愚かさに呆れているの?」
「いいえ、いいえお母様。どうしてそんなことができましょう? 女神像の力は……この町を出れば消えてしまう。元の女神像に戻ってしまう。そして、もうひとつ。もし私が恋をすれば、私は消えてしまうさだめだったのです」
 そして視線を送られたジャンが狼狽した。飛び上がるほど驚いて、口をぱくぱくさせる。
「お、お、俺……?」
「そうです。あなたのことを好きになったとき、私の力は終わったのです」
 アリーゼの右手にある宝石。赤い光を放つ石。

「泡沫。もともと泡沫である私の眠りが、どうして夢の宝石をつくりあげることができるでしょう。……偽りなのです。不可能なのです」
 赤い光が消えていく。そして姫はぎゅっと石を握り込んだ。
「全ては夢に過ぎない。ああどうか、お願いです……悲しまないで」


 アリーゼの身体が、光の粒と化す。くだけちる。ジャンが手を伸ばし、悲鳴を上げる。
「行かないでくれ! 行かないでくれどうか!
 ひどいよ。俺は君をなくすために好きになったんじゃないんだ。出会えて良かったと思わせておくれよ。どうか……!!」



* * * * * * *



 ジャンの嗚咽が響いていた。
 どうすれば、いいの。分からない。アリーゼは消えてしまった。そして、彼女のいた場所には、翠の女神像。迷いいずる夢。人を迷わせるのに十分な、美しい姿だった。そして彼女の幻が残すことのできた、石ころ。それは泡沫の宝玉には、なりえなかった。

「これ……」

 私は宝石を取り、ジャンに渡した。ジャンは首を振り、受け取ろうとしなかった。
「貸せ」
 私の手からそれを乱暴に取ったのは、ラガートだった。
「なによ」
「泡沫の宝玉は、そもそも価値のつけられない宝石だという。なるほど、確かに石ころならば値はつけられまい」
「…………」
「これは夢を凝縮した石だ。彼女の過ごした時間がここに凝り固まっている。卵のようなものだ、もし君にその気があれば……この卵から、アリーゼは生まれることができる」
 目を見開いてジャンは顔を上げた。
 ラガートは眉間にしわを寄せ、顔をそむけた。
「女神像を触媒にした曖昧な存在でなく、君たちが彼女に与えた時間が、確固たる存在としてこの世にあることを許すだろう。ジャン、手を出せ」
 ジャンは渡された石をこわごわ眺める。そして言われるがまま、動いた。



* * * * * * *



 泡沫の宝玉を触媒にして、姫君は再び生まれ出る。
 彼女が偽り、夢と呼んだものから彼女は命を得る。よみがえったアリーゼは、にっこりと微笑むだろう。そして愛しげに優しく、彼女が愛し彼女を愛する者たちの名前を呼ぶだろう。
 愛された人形が人間になった話。


「下らない茶番だった」
 眉間にしわを寄せてラガートが言った。
「茶番、演出したくせに」
というと、しわが濃くなった。





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